実母の話

実母の話・11

今までの話。

はじめから読む

 

専門学校に通いながらバイトをしはじめたことで初めて『外の世界』とつながるようになり、そこで少しずつ、色んな事に気がつき始めました。それから2年の歳月が流れ、二十歳になった私は仕事終わりにお酒を飲むようになりました。この日、私はいつも以上にお酒を飲み、遅い時間に帰宅しました。

 

今まで積もり積もったものが、この時初めて一気に溢れ出ました。

『酔った勢いで…』というより、『お酒の力を借りて、ようやく吐き出すことが出来た。』という感じです。《ずっと言いたかった。けど言うのが怖かった。》母は、私を傷つけようとしていたのではなく、『ただ話を聞いて欲しかった』だけ。私の役目はそんな母の『話を聞く』という、ただそれだけのこと。言葉にしてしまうと、本当にただそれだけの事なんです。でも、ただそれだけの事なのに、

私はもう限界でした。

続きます。

実母の話・12

POSTED COMMENT

  1. みほ より:

    地震大丈夫ですか?勘違いならすいません。絵の言葉が関西なのでもしかしたら…と思いコメントいたしました!余震も続くみたいなので怪我などお気をつけてください!

    • ホリカン&でっかいおっさん より:

      ご心配くださってありがとうございます!!
      私たちが住んでいる所も
      かなり揺れたんですが、全員無事です。
      これ以上被害が出ないことを祈るばかりです。

  2. 匿名 より:

    実母ってほんと厄介。
    私も35歳で未だに悩まされています。
    おかずを手作りであげたら同じ物のお店の物くれたり。
    私も小学四年の頃に母の父(私の祖父)は包丁を持って暴れたことがある、と話してみたり、私の父の悪いところが私はそっくりだとか、といっても神経質な所なんですが嫌な感じを受ける話であったり。
    毒親の本読んだりしました。
    今では時代のせいなのかな、とか知識をつけていないからかなとか思えるようになりました。
    けど私の子供に影響があるので極力会わせません。
    毒は毒。

  3. ゆたり より:

    私も似たような体験、ありました。私の場合、母にとっての姑、私の祖母の悪口だったけど。私も延々と愚痴聞く係だったなぁ。
    すごくイヤだったから、私は子どもにはしないようにしてますが、私の姑もかなりヤバイ感じで。
    過干渉と思い込みが激しく、かなり攻撃的なのに、自分が反撃されると逃げるしか出来ないし、今度は被害者になる。

    いろいろ私なりに学びましたが、戦後大変な中、競争社会で、親が子どものときに余裕なく育てられ、余裕持てない心のまま大人になった人がたくさんいたのかもしれない。あとは、大人の発達障害とか。

    私の母は亡くなりましたが、姑はまだまだ暴走が止まらず、夫が病んできています。夫が最近、やっと気づけて心療内科に通えるようになったのが救いです。

    私は夫は虐待されていたと思っていて、根の深さを痛感しています。

    私はたくさん本を読みましたが「毒になる親」よかったです。

    ホリカンさんが、ご自身の親子のエピソード描いてくれてうれしいです。

    私は私の場所で明るさ、あたたかさを作っていきます。
      

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