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今までの話。
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はじめから読む
私が意を決して今までの思いをぶつけた翌日。母は愚痴を言うことなく、私と普通に会話をしてくれました。それが嬉しくて嬉しくて。
母が分かってくれた。これからは仲の良い母と娘になれるのだと嬉しくて泣いた、次の日。
この時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
いつもと全く変わらず、ごく自然に愚痴を言い始めた母。
え…昨日の、『今までごめんね。』って、何やったん????
多分、あくまで推測ですけど、娘が酔った勢いで何かわけ分からんこと言ってきた。程度にしか思ってなかったのかもしれません。お酒の力を借りてではありましたが、あの告白は、私にとってとてもとても勇気のいる告白でした。それが、何一つ伝わっていなかったなんて…。昨晩、嬉しくて泣いていた自分が馬鹿みたいでした。この時、私の中で何かかぷっつりと切れたような感覚がありました。
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実母の話はこれで一旦終わりになります。ここから《私がどのようにかわっていったのか。》《母との関係はどうなったのか。》夫との馴れそめと共に(誰が興味あんねん。)描いていく予定です。
なかなか話がまとめきれず、合間合間の更新になってしまい、申し訳ございません。また見ていただけますと幸いです。
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はじめまして。
実母様のお話、ウチの実母にもとーっても近いです。
いつも自分の自虐的な愚痴(その中に自慢も入ってる)を聞き続け、自分の話はなかなか聞いてもらえませんでした。一番古い記憶は3歳です。今娘が3歳になりました。同じようになりたくないのにもしかしたら何か気づかないうちに母と同じになっているのではないかと怖くなる時があります。
母は私や家庭でしかストレスが発散できないんだ、私が聞いてあげなきゃと思って一生懸命だった時もありますが、やはり社会に出てコレはおかしいと気づきました。一番おかしいなと思ったのは流石に母がおかしいなと思い正論を言ったら逆ギレして泣きながら家から飛び出し、車通りの多い県道の歩道でうずくまって泣いてた時ですかね…。
で、落ち着いた頃にまた平気で愚痴を言い、他人をディスり…。
できるだけ母のようにならないようにしたいという気持ちからなのか、少しでも愚痴を言うと母と同じになる気がして中々愚痴を言う事ができません。なかなか難しいですね。
でっかいおっさんです。
逆ギレして泣きながら家から飛び出し、車通りの多い県道の歩道でうずくまって泣いてた時ですかね…。
これ かなりハードな体験ですね・・・。
妻も
愚痴を言うたびに 『はっ』と我に帰る時があるようです。
その呪縛から逃れるのは大変みたいです( ゚Д゚)
はじめまして。
他人事とは思えず、読み進めてしまいました。
わたしも共依存の家庭に育ちました。我が家は父がいわゆるアダルトチルドレン、母へのDVが日常的に繰り返され、子供には手を挙げませんでしたが父の機嫌に振り回される子供時代でした。家を出て、結婚し、出産して、やはりウチはおかしいのだと確信していきました。そして、父自身も両親(私の祖父母)から歪んだ愛情しかもらえず、共依存で育った人でした。祖父母が亡くなった今も父は祖父母に精神的に支配され苦しめられていますが、そのことに自身で気づくことも出来ずにいます。
私は今2児の母ですが、子ども達と向き合う度に父とのトラウマに苦しめられています。祖父母、さらには曽祖父から続いてきたであろう連鎖を私で断ち切りたいと、日々悩みながら子育てしています。
私だけではない、とても勇気付けられました。ありがとうございます。
おっさんです。 このブログのコメント欄を見ていると 他にも 同じような経験をされている方が多くいる様です( ゚Д゚)( ゚Д゚) 連鎖を断ち切るのは大変だと思いますが・・・ 悩みながらでも断ち切れたらいいですね( ゚Д゚)
ヤナギブソン好きです!笑
おっさんです。 おっさんは シャンプーハットのコイちゃんが好きです( ゚Д゚)
私も実母と確執があり疎遠です。
その後が気になってます。
はじめまして。
実母の話・1にあった言葉
「息を吐くのと同じように
愚痴を吐き続けるのです。」
これがお母様の状態だと思います。
愚痴とはお母様の「呼吸」であり、生命維持活動なのです。
そもそも愚痴を愚痴と思っていない以上、繰り返されるのは仕方ないことです。
悪意はまったくないんですよね。だからたちが悪い。
逆ギレされずに謝ってもらえただけよかったと思って、お母様の吐き出す精神的二酸化炭素からそっと距離をおき、新鮮な空気が吸える場所に移動する。
自分ができることは、そのくらいしかないと思います。
(本当は、お母様にカウンセリングを受けていただければ、少しは違うのでしょうが……)